在《谜狐怪童》第十三卷(旧版)附录页,植芝理一写道:

我所敬爱的坂本龙一和中泽新一两位先生两人各自被称为「衣柜主义者」和「狂人心境」。如果说我的漫画能被人称为是「衣柜的狂人」的应援曲的话不知该有多好。


「衣柜主义者」

1990年,美国女性主义者塞奇威克(Eve Kosofsky Sedgwick)出版了《衣柜认识论(The Epistemology of the Closet)》,该书被视作酷儿理论的关键突破,也是“衣柜主义”的来源。

酷儿(Queer)是英文音译而来,是所有不符合主流性与性别规范的性少数群体所使用的身份、政治和学术用语。它既是身份标签(性别酷儿),也是一种政治策略(性别酷儿/酷儿身份),同时也是一种文化分析概念(酷儿理论)。20世纪90年代,在美国学术界的号召下,酷儿一词被赋予了新的政治意义,随即被性少数群体和学界用来表达对主流性别体制的抗拒和不满。

塞奇威克在《衣柜认识论》(The Epistemology of the Closet,1991)中,剖析麦尔维尔、尼采、普鲁斯特等欧美名家的经典作品,解析多重性取向的文学表现,提出了“伟大的范式转换”概念,即:肯定非传统的异性恋(如以女性为主导的婚恋关系等)和同性恋的另类文学范式。
——《论西方当代性别与跨性别理论的缘起、内涵与特性》

伊夫•科索夫斯基•塞奇威克(Eve Kosofsky Sedgwick)认为“男-女-男”三角关系旨在维护父权社会男性中心地位。
——《“丽贝卡”归来:浪漫小说范式的经典化》颜虹芳

国内曾经流行过“坂本龙一是同性恋”的谣言,笔者认为应该是“坂本龙一是衣柜主义者”的说法漂洋过海的结果。尽管“衣柜主义者”在日本确实被视作性少数群体,例如同性恋或者双性恋等,但是本文已经指出“衣柜主义”还涉及更深层次的内涵。(至于坂本龙一是不是同性恋,这是坂本龙一的问题,笔者就不深究了。)

在植芝理一的主要创作生涯当中(1991年~2020年),其创作基本遵循“伟大的范式转换”,无论是“女性主导的婚恋关系”还是“女-男-女”三角关系结构都相当明显。

值得一提的是,塞奇威克的观点对人类学和女性主义都极有贡献。笔者认为,这也是植芝理一的女性主义观点来源之一。

在异性恋关系中,男性主体的首要动机与欲求客体不是某位特定的女性,而是这一女性背后的其他男性。……从他们那里获得对其自身男性气质(masculinity)的认可,从而在同性社会关系中“赢得”优势地位。(这种欲望被塞奇威克视为是男性社会的驱动力,也是男性的行为动机,身份和情感的终极源头和真相。)
——《涌动在浪漫三角恋情下的男性“同性社会欲望”》宁可

80年代,人类学理论取代了民族学理论,劣根性也从“民族的”变为“人类的”。然而,当时的日本学术界认为“女性化”也是劣根性。1984年,户川纯以女性痛经为题进行音乐填词的《玉姫様》刺破了日本社会传统观念,性别对立的序幕就此拉开。作为斗争的结果,两年后的日本正式实施《男女雇佣机会均等法》。不断“激进”的社会给予了“衣柜主义”进入日本人视野的契机。

一般来说,“好学生”与“书呆子”就像不可分割的元素,以顶级学府为目标进行重考的植芝理一与户川纯这样叛逆的孩子王似乎毫无关联,更不用说他那种过于内敛的性格。然而,植芝理一不但是户川纯等流行偶像的粉丝,而且围绕“衣柜主义”创作的行为也体现出他的理论储备与当下社会运动紧密相关。


「狂人心境」

中泽新一(中沢新一),日本宗教史学家,文化人类学家。1979年,他以密教为研究对象,远赴外国研习藏传佛学。1982年,回国发表的《西藏的莫扎特》取得了惊人销量,其研究获得关注,被视作“新学院派的旗手(ニュー・アカデミズムの旗手)”。

1988年,受到中泽新一理论影响的“奥姆真理教”诞生。奥姆真理教的教义主要基于原始瑜伽、印度瑜伽、巴利文大藏经、藏传佛教密宗,并糅杂了道教、儒教、基督教、琐罗亚斯德教等的思想。教主麻原彰晃宣扬“万教同根”,试图用其瑜伽-印度教的世界观来解释所有的宗教,探寻囊括一切宗教的所谓“真理”,如声称基督教的建立者是印度神明梵天。

自诞生以来,奥姆真理教在日本制造各类绑架、杀人、恐怖袭击事件。在宗教自由的掩护下,他们于1989年取得了宗教法人资格,成为日本政府承认的合法宗教。然而,贪图政治权力的奥姆真理教又组织了“真理党”,这也是悲剧的起点:因为在1990年2月18日举行的第39届日本众议院选举以全体败选而终结,宗教高层逐渐极端化,报复社会的行为激增。其中,在1995年3月20日的东京地铁发动的恐怖袭击最为惨烈,造成13人死亡及5510人以上受伤。“东京地铁沙林毒气事件”震惊世界,1997年联合国认定奥姆真理教为恐怖组织。

“东京地铁沙林毒气事件”发生后,曾经鼎力支持奥姆真理教的中泽新一遭到了社会舆论的强烈谴责,其同事岛田裕巳(島田裕巳)出版了一本《中沢新一批判》,专门揭露中泽新一的诈骗行为,例如揭发他从未到过中国西藏,而是在尼泊尔进行修行,还称他受到共产主义的影响。

此处,笔者谈论一下自己的观点:岛田裕巳说中泽新一受到共产主义的影响,理由是中泽新一的家庭有日本共产党员。但是,中泽新一支持的奥姆真理教是被《共产党宣言》所阐述的反动实践。中泽新一认为中国是独裁国家,也违背了列宁阐述的无产阶级专政论。在奥姆真理教事件后,中泽新一公开宣布自己不再以“宗教学家”的身份活动,足见其政治思想的孤立性。另外,“中泽新一拥有共产主义情怀”也遭到日本读者和马克思主义研究者兼新学院派代表人物柄谷行人的否定。

不是只有学院派和反对奥姆真理教的群众批评中泽新一,户川纯也批判过他所代表的“新学院派”是压迫女性。

户川纯:这个我也没有要特意去主张什么。“生理期”的话,在1980年的时候,新学院派(New Academism)啊文化人类学流行的时候,就用了“负性”这个词汇,还说了“女性也是负性之一”这样的话。对此也不是想反抗或者说不接受,怎么说,算是某种甘地式的比较平和的做法吧。“才不是,女性是强的”那样的斗争方式就觉得有点七十年代了。

戸川:そこにも特に主張があったわけではないんです。生理を扱ったのは、1980年代当時、ニューアカ(ニューアカデミズム)や文化人類学が流行った中で「負性」という言葉が取り上げられて、「女性も負性1のつである」と言われていたんですね。それに対して、別に抗うでも受け入れるでもない、ある種ガンジー的なやり方をしたというか。「違う、女の方が強い」みたいな戦い方は70年代的だと思ったし……。

有反对的声音就有支持的声音。YMO乐队的发起者细野晴臣是中泽新一的好友,两人合著过一本介绍日本神社的游记《观光(観光)》。

2006年,集英社出版的《宪法第九条是世界遗产(憲法九条を世界遺産に)》列有中泽新一的大名,他提出积极维护“日本放弃发动战争的权利”,激怒了主张恢复军队的日本极右翼群体,这也使得他得到日本极左翼群体的同情。

除此之外,“东京地下铁沙林毒气事件”不是针对平民的袭击。这条地铁线路靠近日本外务省、警视厅、通产省和最高法院等公务机构,在早上高峰期进行袭击是为了针对国家公务员。根据岛田裕巳的揭露,中泽新一曾表示“如果当时的牺牲者高达上万人,就会呈现出其他的含义”——通过这一点也能够解释为什么奥姆真理教受到日本本土极端势力同情。

此处,为了揭破奥姆真理教的真实动机,笔者决定引用长安街读书会的一篇书评:

在现实的社会生活和矛盾冲突中,民族意识和宗教信仰并不如书生们描述的那么重要,那么有决定性的影响力。对于矛盾甚至冲突着的双方,影响更大的是各种实际利益。族群性不是原因,而是结果。强调语言、族群、教派、宗教的排他性,与其说是为了保护文化,不如说是获得和独占社会、政治特权和利益的可鄙借口。伊斯兰原教旨主义之所以没有前途,在于它永远是一小部分人攫取排他性利益的工具,因此他们只会不断地挑起冲突,如同一条贪吃蛇,最后的结果就是自取灭亡。民族、宗教理论研究,还是得用辩证唯物主义的态度。

综上所述,中泽新一是极受争议的学者。“狂人”就是疯子的意思,他抱持着“只要有趣就没有问题”的反社会责任感的态度引发了灾难性后果,最终放弃以宗教学家身份进行活动收场。不过,中泽新一所代表的“新学院派”在80年代末就已经覆灭了。不断衰弱的苏联阵营与强盛的美国阵营之间形成极为明显的对比,这也使得日本社会舆论转向,对左翼理论感到厌烦。

笔者目前无法确定植芝理一受到奥姆真理教的直接影响,但是能够肯定他通过中泽新一接触了奥姆真理教的知识。

在1996年出版的《谜狐怪童》第8卷(旧版)《男子游戏篇》中,出现了奥姆真理教的麻原彰晃——虽然女主人公户川对其强烈否定,但是男主人公松笛使用了中泽新一的名言“只要有趣有什么不可以”。可见,植芝理一对当时“人人喊打”的中泽新一持有肯定立场。

为了给予读者充分的自主思考空间,笔者在此放出日本读者对岛田裕巳《中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて》的评价,其中涉及到日本人对中泽新一的看法。

日本读者评论

(1)

本書は同じ東京大学文学部宗教史宗教学科を卒業した島田裕巳による中沢新一弾劾の書である。諸君もよく知っているように島田はオウム事件の最中、朝日新聞系列の日刊スポーツ紙により「島田はオウム真理教から幹部用の教団名ホーリー・ネームを授かっている、教え子の日本女子大学の学生をオウムの信者に勧誘した」などと事実無根の記事を書かれ、マスコミ挙げてのバッシング対象になり、日本女子大教授の職を追われるという悲劇の主人公である(島田はその後日刊スポーツ紙を提訴し事実無根の記事で多大なる被害を受けたとして賠償金の支払いと謝罪広告の掲載を裁判所の判決で勝ち取り、全面勝訴となっている)。一方の中沢は『虹の階梯』なるグル絶対帰依の教えと、ポワ(魂の救済)のためなら大量無差別テロさえ許されるとした、常軌を逸したほとんど犯罪幇助の愚書を出し、それが故にオウムを奪回したアー言えば上祐史浩をして「あの『虹の階梯』がぼくの目指す脱麻原の妨げになっている」と嘆かしめているのである。一言で言えば、オウム事件に関しては本当のところ「中沢はクロで島田はシロ」のはずだったのである。ところが中沢は、同じ東大文学部宗教史宗教学科卒の四方田犬彦をして「チベットに一度も足を踏み入れることなく『チベットのモーツアルト』というエッセイ集を書いて評判となり、第一級の猜詐欺師の才能を発揮した(中沢がチベット仏教の修行をしたのはチベットではなくネパール)」「中沢もまたオウムとは深い関係にあったが、こちらは巧みに立ち回って、法螺吹きドンドンの寵児ぶりをメディアの中で発揮し(続け)ている」と言わしめている。四方田によれば島田がクロとなり中沢が逃げおおせたのは中沢の詐欺師の才能によるところが大きいのであって、真面目愚直な島田に対し、中沢は「容易に前言を取り消したり、意図的に虚言を弄するといった戦略を思いつくことができた」からとしている。旧友による誠に手厳しい評価は注目していい。

本書を読むと、島田が中沢弾劾の筆を執る(執らざるをえない)ことになった契機が、中沢がお笑い芸人と共著の形で出したオチャラケ本『憲法九条を世界遺産に』で中沢が示しあいも変わらず安全地帯から世間を愚弄する態度に心底腹が立ったからと想像される。この本に対する島田の怒りが相当強かったがことは、この本が繰り返し本書で言及されていることからも伺いすることができる。で、本書の中身だが、さすが大学者島田裕巳と言おうか重厚な論理構成で中沢の人と成りをその表も裏も示しつつ、彼が為した膨大な無責任発言の数々を丹念に広い集め、中沢新一という学者がオウムによるテロをむしろ煽り、礼賛し、しかも尚、テロを指示した麻原というグルに絶対の帰依を説くと言う、まるで麻原の別働隊みたいな役割、平たく言えばサリン事件の共同正犯みたいな役割を果たしていたことが動かぬ証拠によって示されていることだろう。

私がもっとも問題だと思うのは、中沢がオウムによるサリン事件後に元信者に対し語ったとされる「ね、高橋君。オウムのサリンはどうして(犠牲者が)10人、20人のレベルだったのかな。もっと多く、1万人とか、2万人の規模だったら別の意味合いになったのね」という発言だ。ここでは中沢は「別の意味合い」とのみ発言し、具体的にどんな意味を持つのかを明らかにしていない。この肝心なところをぼやかして発言し、常に逃げ口を設けておくのが狡猾な「詐欺師」中沢の何時もの手なのだが、このときに限っては別の元信者に対し、さらに踏み込んで発言している。「1万人、2万人規模の人間が死ねば、東京の霊的磁場が劇的に変化する。。。」
私としては是非ここで「で、それで何か」と突っ込みを入れたくなるとこだが、これは完全に常軌を逸した狂人の扇動と言われても仕方あるまい。ここで中沢は明らかに地下鉄サリン事件の犠牲者がもっと増えていればなあと犠牲者の拡大を期待しているのである。

こういう無差別大量テロを期待し待ち望む異常ともいえる横顔を中沢は東宝映画「ゴジラ」を分析する文章でも示している。中沢曰く「(ゴジラ映画を日本人が歓迎したのは)都市に住む日本人は、都市が徹底的に破壊され、秩序が崩されたあと、その焼け野原から新しい世界が生み出されていくのを好む(独特の性癖が日本人にあるから)」などと、もうウソ八百・駄法螺としか思えない頓珍漢な考えを滔々と述べている。そうじゃないよ、中ちゃん。確かに「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言葉はありましたよ。ただねえ、中ちゃん。落語を良く聞けば分かるんだけど、当時の江戸庶民は無産階級で、資産なんか何も持たない、家具も布団も家もみんな借り物の貧乏人だったんですよ。宵越しのゼニは持たないなんて粋がってね。だから無産階級にとって火事は布団は新品になる、家も新品になるで結構尽くめなイベントだったんだね。よほどの大火でもなければ死人もあんまりでないし。今や政府の持ち家政策の御蔭で国民の大半が資産家になった今では、こんなことは起こりえないのですよ。中ちゃんの歪んだゴジラ論とは裏腹に大半の日本人は、あの映画を「現実にはありえない絵空事」として楽しんだんですよ。確かに映画では東京タワーも大阪城も新幹線もみんな壊されましたよ。でもそれは所詮映画の中だけのオハナシ。現実の日本ではこうした大量破壊は全く起きず、むしろどんどんどんどん日本は進化し便利になっている。それに日本人は無常の幸せを感じていたんですよ。

こうした大半の日本人の感覚と異常にずれた破壊妄想を中沢がなぜ求め期待するに至ったのか。その原因を著者の島田は中沢家に連綿と伝わる共産主義者の系譜に求めている。地方の素封家に生まれ、何不自由なく恵まれた人生を送ったはずの中沢家。そこに伝わる暗い革命への情熱。しかも資産家の限界なのか、自らを日本共産党に絶対帰依することはせず「気分はコミュニスト」どまりで、遊びの時間が過ぎると日本共産党とは距離を置き離党。そこから来る言い知れぬ挫折感が父から子へと中沢家では伝えられ、それが中沢新一をして「こんな日本、壊しちゃえ。今生きている日本人は僕を除いて皆殺しだ」という妄想へと誘ったのではないかという島田の分析は圧巻である。この最後のところが特に重要で、要するに中沢は周囲の人間と痛みを分かち合おうと言う発想がそもそも無い。自分は絶対に安全な場所にいて、痛みを感じ犠牲を払わされるのは常に「自分以外の誰か」なのである。要するに「俺様は別格」という強いナルシズムをお持ちなんだろう。こうして見てくると、中沢が常にうまく立ち回り前言をコロコロ翻しながら平然としていられる理由も分かってくる。要するに彼は日本人をからかって「スカッとしたい」のではないか。こういう人間が「学者」を名乗って平和に暮らしていけるのだから、日本という社会はつくづく「良い社会」だなと嘆息する私なのである。

(2)

オウム事件自体、全面解明がなされないまま幕が引かれつつある現在、著者の主張の多くは憶測や推測に過ぎない。例えば現在の上祐と中沢の関係などに関しては、両者に直接問いただしてみるべきで、「明確なことはわからない」では説得力がない。しかし、有田芳生、苫米地英人、四方田犬彦などの発言や著作も読み合わせれば、この本が中沢の人となりをよく表しているのは分かる。特に有田のブログ(http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/03/post_c89d.html)での発言は読むに値する。日本のマスコミは政治家のオフレコもだが、このような人物のオフレコもしっかりと公表、出版すべきだ。
 
 著者は、『中沢が果たさなければならないことはなにか。
 それは、彼とオウム真理教との関係、そしてオウム真理教が引き起こした事件との関係について明らかにするという作業である。』(p.5)というが、私は違うと思う。中沢がすべきことは、オウム真理教を賛美し、地下鉄サリン事件の犠牲者が万に及んでいたならば、どれほど意義あることであったかを逃げずに語ることである。著者が求めていることは、中沢自身がすることではなく(できるはずもなく)、第三者がすべきことだと思う。
 
 そして、著者の島田は中沢に反省を求めているのだが、それは無駄である。本人も言っているように自らの行為の結果を「気にしない」方針だし、彼の教義では好んで嘘をいう人たちは成就するにふさわしい人たちであるからだ。さらには、彼にとって地下鉄サリン事件は、宗教的に正当化されるべき無差別大量殺人の失敗であって、その方向性が間違っているとは捉えていないからである。
 
 ニューアカブームのころから、いくつか著作を読み、発言にも接してきたが、いまだかつて中沢が宗教学者であったことはないと思う。論文と言えるものを知らないし、彼の著作が学術的であったことはない。中沢自身も「〈宗教学者・中沢新一〉なんてもう終わりにします。そんな奴は死んだのです」と発言しているのだから、いつまでもアカデミズムにしがみつくのはやめるのがよいと思う。
 
 そして、宗教家として生きるのがよいと考えるが、中沢は「ゾクチェン」の戸口にも立たないうちに日本に帰ってきてしまっている。例えば、それは彼がポアの修行を行い、頭頂部から黄色い液が出てきたときに、衛生観念に邪魔され、また、草の茎を突っ込もうとする山寺の僧のことを信じられなかったので、それを辞退したことからも明白である。
 
 もう一度、ネパールかできればチベットへと赴き修行を積んだ後(10年程かかるだろうが)、N派を立ち上げ、かつて本人が言ったように「自分の道をもう一度やり直して追求してみたいんだという人たちは、今度僕は本気で引き受け、」宗教者(グル)として生きていくのがよいと思う。
 
 補足1:グルには絶対服従であるべきだが、自分のグルは自分で選ぶものである。そのためには経験を積まなくてはならない。
 補足2:中沢が待望しているハルマゲドンは来ない。

(3)

筆者はご存じ、オウム真理教の犯罪が露呈した頃、その曖昧・優柔不断な?関与から(又過去に自らも宗教体験に入り込んだ学者として)バッシング・コーラスを受け大学を追われた宗教学者です。
その後オウムの世界から抜け出した人として名誉回復されたのですが、本書では今売れっ子のニューアカ人類学者・中沢新一氏をつかまえて“お前こそがまだオウムの信者、隠れた伝道師なのだ”と批判を展開されました。
生命エネルギーを謳歌するように見える中沢氏の思想は、結果として命の抹殺につながる悪魔を解き放つ役割を果たしたのでしょうか?もしそうだとするならば、確かに中沢思想の危険性を克服する事がカルトの危険性を解明する事になるかも知れません。
私にはオウム事件は昭和の大戦にも匹敵する悲惨な事件との思いがあります。
でもね、若者達が絶対に陥ってはいけない深みの問題をかかえながら、事件は真実解明もままならぬまま麻原以下数人を殺し去る事で世間的には決着がつけられようとしています。尊い命を犠牲にしたオウムの事件はまだまだ解明しておかねばなりません。
本書で島田氏は中沢氏への批判を通してオウムの思想を内在的に批判されています。
読んでいて余り楽しい本ではありませんが、ちょっと気味が悪い思いをしながらも読んで置く必要がありそうです。
中沢批判の要点は
1。”虹の階梯”は若き中沢のチベット密教修行体験の記録であり、そのグル盲従の教えは麻原やオウム信徒を魅了しました。中沢氏自身、自分の著書のオウム信徒への影響を認めながら“困ったね、でも気にしない”といって開きき直るのは宗教学者としての無責任・不誠実である
2。中沢氏はグル(麻原)への無条件帰依を捨てず、上祐のニュー・オウムを妨害している
3。中沢氏は麻原やレーニンを社会的に差別された者、アウトローとしての霊的革命の主体者と捉え憧れる、“弱者はしばしばテロの手段に出る”としてテロ正当性を論証している。
4。オウムや麻原が意図していたものは松本サリン事件や地下鉄サリン事件を上回るより大規模な無差別大量殺人であり、中沢氏自身それを期待していた。彼は現実離脱夢見心地の破壊こそ、失われた記憶“根源的肯定”への”永遠回帰”とする。
”世界を徹底的に破壊し死をあからさまな形で突きつけ焼け野原の上で感じる恍惚”、(所謂スッキリしたい!リセット願望)かくて中沢氏は宗教テロリズムに憧れ正当化する。
自己への執着から解放されているという認識は優越感に結びつきやすいのです。優越感とうらはらな観念的“衆生救済”希求が不完全な現状への不満と結びつく時“宗教という幻想は肥大化され現実世界の全否定に至る”“宗教が弱者にとっての心の慰めから過激派にとっての武器になる”
“命”はつねに“死”と隣り合わせです。だから本来“生命”の尊厳を語るべき宗教家・思想家は余程真剣に“命の大切さ”に思いを致さぬと、いつの世もとんでも無い思弁の陥穽に陥る恐れがあるようです。

结语

笔者之前在《<ミギーの旅>简析(下)》公开过自己对日本人的观点:“女权主义意识+支持左翼运动+同情大日本帝国战犯”是日本的正常人模板。因此,笔者从不认为植芝理一会是例外。甚至于,笔者曾经在《植芝理一与「漫研」》提出过植芝理一加入极端宗教团体的可能性。

植芝理一曾说过,自己小时候在床头贴藏传佛教的贴纸。60年代,藏传佛教元素流行于美国。80年代,通过中泽新一又流行于日本。由此可见,植芝理一深受影响。

截至目前,笔者的主要看法是:

一,植芝理一没有完全肯定奥姆真理教。

二、植芝理一基本肯定中泽新一的观点。中泽新一的理论不仅是奥姆真理教的理论源头,他还发表过大量合理化奥姆真理教行为的言论。

三、上述两点存在时限性。在《谜狐怪童》的声明,至多只能说明植芝理一在2000年之前的观点,甚至不一定,因为只有追随者才会与他人的思想观点强行同步。任何进行思考的人,他的认知都会呈现多样性。

四、植芝理一存在自身观点。“衣柜的狂人”是一个组合词,其含义更加偏向于“践行衣柜主义的疯子”。

当笔者粗略翻阅新装版的《谜狐怪童》时,发现植芝理一的这段阐述似乎被藏起来了。究竟是笔者没有找到呢?还是删除了呢?真的非常好奇。如果有哪位读者感兴趣,不妨在新装版里寻找它的痕迹吧。

(笔者:我已经累趴下了,希望有人能够代劳!如果有想法,也希望传达给笔者,这篇文章是比较重要的,越严谨越好。)

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