植芝 理一 Ueshiba Richi
1970年生まれ。1991年、大学在学中に『週刊モーニング」にて。『ディスコミュニケーション」でコミックオープンちばてつや賞一般部門受賞。そのまま「アフタヌーン」本誌で「ディスコミュニケーション』の連載を開始する。現在は『謎の彼女×』を『アフタヌーン」本誌で連載中。神話や民俗学に始まり特撮やアニメまで、幅広い豊富なモチーフを随所にちりばめた特異な作風で知られる
摇らぐよようなら、絶対くじける」
『夢使い』がアニメ化され、『アフタヌーン』本誌で『謎の彼女×』の連載がスタートするなど、現在絕好調の植芝先生。創作くの姿勢、担当編輯者とのやりとり、現代のオタクくの雑感など、ファンが気になることをとことん語り尽くす。
◆怖い編集者のおかげでマンが家に?!
――随分変わつた机でお仕事なさっているんですね(155ページ写真参照)。
■これは自作のこたつみたいになっているんですよ。普通の机に画鋲で布を留めて、中にヒーターを置いて。周りを段ボールで囲むと、全然寒くない。春になるまでは、ずっとこのスタイルです。僕はアシスタント無しで制作しているので、恥ずかしいということもないし……。
――なるほど……。では、早速ですが、マンガ家になったきっかけから。
■大学三年のとき春みに描いたマンガ、COMIC OPENで入選して。どういうわけかいきなり大賞で。まぁ、ビギナーズうラックでしね。何でCOMIC OPENかっていうと、たまたま『モーニング』に募集が載ってたんですよ。COMIC OPENとかアフタヌーン四季賞とかの募集って、入選者がイラスト描くじゃないですか。これがもしもっとうまい人だったら 送らなかったかもしれないけど、あんまりうまくなかった(笑)。いつも春休みとかバイトしてたから、このくらい描けたら五万円ぐらいもらえるかなと思って。
――マンガ家になったのはある意味偶然に近くて、昔から絶対マン家になってやるとかそういうのじゃなかったということですか?
■ああ、それじゃなかったですね。なりたいから憧れるじゃなく、単純にマンが好きだから、マンが家に憧れているっていうのだったと思います、なる前は。
あとほら、大学生活でサークルとかやって、二年ぐらいたつとちょっと飽きてくるじゃないですか。飽きてくるっていうか、惯れが出てきて。で、それが四年になったら就職活动しなきゃならないじゃないですか。だからエアーポケットの三年っていうのがちょうどハマったなっていう感じがするんですよ。一年ずれてたら、『モーニング』编集部に呼び出されても、「いやー、就職あるから、ちょっと」って行かなかったかもしれないし、二年だったらサークルとか飲み会とか学校楽しくて、全然マンがとか描かなかったかもしれない。
――デビューにあたっての苦労話とかありますか?
■入選したら編集部に呼ばれるじゃないですか。で、最初の担当さんが、「『デイスコミャニケーション』の続编って描ける?」って。「いやー、わかんないです」って言ったら、「やってみてよ。とりあえず頑張ってみて、じゃあ来週の金曜日とかに出来たら連絡して持ってきてよ。ま、出来たらでいいよ」みたいなかんじだったんです。そんなに责任感もってやってたわけじゃないから。「すいません、出来ませんでした」って大学の近くの公衆電話かけたら、「約束、え、あ、すいません!」とかってすごい怒られて。入選したのに、一ヵ月後なんでこんなに謝ってばかりいなきゃいけないのかな、って。
僕にとっては、担当さんなんか怖かったな。こっち二十一(歲)で向こうもう三十二、三(歲)でしょう?それで编集者ってかんじでしょ?でも、優しいかんじの编集者で「出来ませんでした」「じゃあ来週持ってきて」とかだったら、ずーっと描かなかったかもしれない。「最初の担当さんが怖かったからマンが家になった」とか冗談で言ったりしてたんですけど。苦労話かな、これは。
◆編集者との関係
――絵だけじゃなくて、話がすごい独特だなぁって感じるんですが、どうやって考えてるんですか?
■いや、独特って、そういうのは本人では分からないじゃないですか(笑)。他の人は分からないけど、僕の場合、なんというかな、押入れのなかとか布団のなかとか、そういうところで何かモヤモヤと考えたりするじゃないですか。妄想といってもいいですけど、何かモヤモヤ考えて、一人でクスっと笑ったりするじゃない? ああいうのに近くて。
だから担当編集者っていうのは一番最初の読者で、要するに初めて客観的になる場なんです。だから、僕はどっちも面白いと思ってるAとBがあったとき、どちらかを出したら「ああ、それ面白いですね」といわれるときもあるし、またどちらかを出したら引かれることもあるし。それは一人でやってるときには分からないですから。別に独特なものを好きでやってるわけじゃないです(笑)。だから担当さんに引かれるのも、僕にとっては面白いんですよ。あるものは面白いといわれ、あるものは引かれ、それを調整しながら……。
――これは失礼しました……。担当さんの話が出ましたが、編集者は話作りにどこまで関わってくるものなんですか? 例えば 「こんどこういう設定でこういうキャラつかってやりましょうよ」っていう話をやっていたりするんでしょうか。
■最近はじまったばかりの「謎の彼女×』(『アフタヌーン連載中』)でいうと、最初はもっとオカルトっぽい話だったんですよ。主人公は不思議な女の子で、わりと『古事記』どうしたこうしたとかいう話だったんです。
そのときに、「男の子が女の子を好きになる」っていうことで、編集側から出た答えが、「オカルト的な設定がいるのか?」ということ。高校生くらいの思春期の少年にとって、女の子っていうのは女の子であるっていうだけで、ものすでい存在なんじゃないか、と。で、たまたまそういう返答がきて、「あっ」という感じがして出来たのが『謎の彼女×』っていう感じです。だから、編集者の役割は重要かも知れないですね。
――知ったかぶりの一〇代だった頃は、「話はどうせ全部編集が考えてるんだよ」なんてオタク仲間で話してました(汗)。決してそういうことばかりではないんですね。相談相手って言ったら、安っぽいですけど、きちんと話を一緒に作っていく本当にいい関係なんですね。
■う~ん、イイ関係と単純に言えるかっていえば……。いつもニコニコ笑顔で仲良しっていう意味ではないですね。打ち合わせやっている上で、意見がぶつかって月に二回くらいは「死ね」とは思わないけど「軽く車にはねられろ」くらいは思うし、意見がぶつかって担当の方も月に二回くらいは僕に対して同じようなことを思うだろうし……。
でも、そういうぶつかり合いがあって、結果として前に提示したアイデアより面白いものになって、さらに結果として、それが作品となって掲載されて読者から「面白かったですよ」っていうハガキでももらえれば、まあ、いろいろケンカもしたけど「まあ、いいか」と互いに思っちゃいますから……。だから「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的な関係ですね。いつも会うたびに「ああ、担当さんはイイ人だなあー」「植芝さんはいい人だなあー」とか思うような関係では全然ないです。一緒に仕事をしてて、全然ぶつかり合いもケン力もしない関係ってのはあり得ないと思うから。担当と本当の意味で仲良く美味しくお酒が飲めるのは、担当が僕の担当から外れて、お互いの仕事に何の責任もなくなったときだと思う(笑)。
――そういえば、打ち合わせは居酒屋でやるそうですが……。
■そうです。居酒屋でやるってのは珍しいパターンだそうですが。だから、ネームのうちあわせで意見がぶつかった時とかはすごいですよ。ビールのジヨッキを手に持って、テーブルの上に置いたネーム用紙を睨みながら、大の大人がニ人、「ここでパンッ・ハサミ(注・『謎の彼女×』の主人公の女の子の必殺技)出すの、早いですよ!」とか叫んでる(笑)。叫んでる最中につまみを持ってきたウェイターに「マンガ家の方ですか?」とか聞かれたりして(笑)。傍から見たら、かなり妙な光景なんじゃないかと思うけど。
でも、まあ、いいんです。そういった苦労は……。僕も小さい頃からマンガが好きでマンガ家になったわけです。
で、担当も小さい頃からマンガとか好きだから、今、マンガ誌の編集者やっているんだろうし。
だから、少しくらい苦労するのは全然構わないんですよ。読者に喜んでもらえれば「まあ、いいか」と素直に思います。そんなわけで、編集者とのつきあいのキーワードは「三つ子の魂百まで」と「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の二つですね。担当の方は「居酒屋で叫びあうのはなんとかしたい」って思ってるかも知れないけど(笑)。
――それでも、互いの意見が衝突して、どうしてもここは譲れないとなった場合はどうするんですか。
■う~ん、意見がぶつかって、自分の方が間違っていると気付いたら、素直に相手の意見を採りますが……。お互いの意見が完全に平行線になる場合てのは、たいてい、感性の違いなんですよ。たとえば、新キャラの女の子が登場するとして、僕のイメージではショートカットなんですけど、担当のイメージはロングだったりする。そこで、お互いのイメージを譲らない。そういうときは、翌日、編集部の担当宛てに、ショートカットの女の子のラフスケッチを二○枚くらいFA×するんです。
このキャラはショートカットでいきたいんだという僕の熱意を見せるといか、担当に対して一種のプレゼンをするわけです。「ショートカット、かわいいじゃないですか~」と。まあ、これが意見が衝突した際の、担当に対する僕の必殺技といえば必殺技かなぁ。
◆人間の脳はすごいから
――話は変わりますけど、この雑誌は一応、オタクを対象読者に置いているんですが、今のオタクについてどう思いますか? オタクの中には「俺は三次元の女はダメだ、俺は二次元に走る!」って言ってる人もいるみたいですけど。
■ああ、こないだ面白いニュースを聞きましたよ。アホウドリを飼ってる動物園があるんですが、メスが全部亡くなっちゃって、ちっちゃいオスばっかりになっちゃったそうなんです。アホウドリって、小さいときに「女の子っていうのがこの世にはいるんだよ」っていう教育をしないと、大きくなってからちゃんと性的な反応をしないんだそうで。で、動物園の人がアホウドリのメスの模型を作って、これが女の子なんだよって教えてあげようとした。
そしたら翼を広げる求愛行動をしだしたから、「ああ、よかった」と安堵して本物のメスを連れてきたら、模型のメスにしか反応しなかった。これは困ったことだ、っていう半分笑うようなニュースだったんだけど。
でも鳥の声を翻訳する機械とかでやったら「いや、だって虚構の女の子可愛いじゃん、虚構の女の子萌え~」とかって言ってるかもしれない(笑)。だからオタクをけしからんとは思わない。僕らが若いころは「萌え」っていう言葉はなかったけど、やってることは特に変わんないから。でもあんまりはまりすぎて、……働かないとか、そういうのはどうでしょうね、って思うこともありますが。
――虚構には虚構にしかない魅力もあるって事でしょうか。
■江戸川乱歩がエッセイかなんかでこんなこと言ってるんですよ。自分は嫌なことがあってもわりとへろっとしてるし、うれしいことがあっても、あんまり「わーっ」と感動することはない。だから普段はわりと平静な、感情の起伏の少ない人間なんだと。
でもなにか物語、小説とかそういうのにはすごく入れ込んじゃって、物語読んで涙流して感動したり、本を読みながら手を打って喜んだりしてしまう。虚構のものに対してはものすごく反応するんだと。オタクっていうのをどう定義するかって言ったら、僕は多分、それに近いんじゃないかなと思うんです。要するに、普段の日常より作り物みたいな方向に、非常に過剰に感動してしまう。江戸川乱歩のサインに必ず書いてあるのは、「現世は夢、夜の夢こそ真」。だから最近のオタクの人たちって知らないですけど、僕にとってはオタクって多分そういうものなんじやないのかなって思うんですが。
今はそうでもないけど、「結婚してるのに旦那がAV見るんですけどどうしたらいいでしょうか?」って相談事があると、フェミニズムの人が必ず言うんだよね。「ちゃんとした女と付き合うっていうのは非常に大変なことなんだ」と。要するに楽な方向に逃げるっていうのが、AVを見るとかそういうことにあたるんだと思うんだけど。
だけど、男だけじゃなくて、女も、結婚して夫もいて子供もいるのに、やおい同人誌を描いてる人っているじゃないですか。これはじゃあ、その論法でいくと、わざわざ対面してると面倒だからそういう方向に逃げてるということになるのかな? それは何か違うような気がして。
人間の脳ってやっぱりすごいから、想像とかイマジネーションの部分は違って、ちゃんと結婚して子供もいても、ロリコンマンガ描いてるだとか、両立するぐらい平気でやっちゃうような気がします。だから、あんまり虚構で楽をしているだとか、限定した考えはしないですね。オタクに対してプラスとかマイナスとか、僕は考えてないっていう感じです。
――素晴らしい!それをそのまま引用して親に聞かせたいと思う若いオタクも多そうですね。では最後に、植芝さんのようなマンガ家になりたい!と思っている読者に、何かメッセージはありますか?
■聞いた話ですが。ある女性の声優さんが若い頃、まだ学生の頃ですよ、大物声優さんに、「私、声優になりたいんですけど」って言ったら、大物声優さんが「じゃあ声優になれなかったら何になりたいの」って聞いたらしいんです。そこで彼女は「かわいいお嫁さんかなぁ」って言ったら、「じゃああなたかわいいお嫁さんになりなさい」とか言われたって。それでも結局、その人は声優の道を選んだんだけども。それで何年かして、声優として一緒に仕事する機会が来て、こういうことをあなたは私に言ったんですよってその先輩に言ったら、「いや、僕は声優になりたいっていう人には全て無理だって言うようにしてる」って答えたそうなんです。声優は大変な仕事だから、向いてないって先輩に言われたぐらいで揺らぐようなら、絶対くじける。だからみんなに向いてないって言うようにしてる、って。
だからマンガ家みたいなオタク職業とかも近くて、中学生くらいの人が漫研に入るかサッカー部に入るかどっちにしようかっていったら、サッカー部に入りなさいって思う。どうしても漫研に入りたいヤツが漫研に入ればいいんであって、それに近いのかなと思います。だからきっと、逆にオタクがオタクをやめて正常になるのも大変じゃないのかな(笑)。
取材•文:編集部
編集人:松下友人
編集:松下友人、井上威朗、石塚良太
スーパーバイザー:本田透、堀田純司
录入随笔
原本预计上半年完成录入,结果上周就完成了。是的,我放弃翻译了。因为朋友提醒我“情报只需要领会到意思即可”,去机翻了一遍,确实达意。(其实翻译也挺简单的,但是我的语言再组织能力真的太菜了,折磨)
仍然需要提醒读者——访谈发生于2006年,一些内容具有时效性。
我个人建议关注第三节的“人間の脳はすごいから”下面的谈话内容,也是第一次看见植芝理一委婉讽刺日本教育问题。正像我说的,有些内容具有时效性——此时的植芝理一还没有意识到单身的惯性(乐)。
接下来的目标,总之尽快完成《回忆「梦中情人」们(二)》
,当时已经写了接近一半的内容,因为支持同好在微博的发声而中断了,现在有点儿无从下笔……